脱走は最大の罪!!
ヤマギシで何よりも重い罪、それは脱走です。旧日本軍で脱走兵は死刑なんて聞いた事もあると思いますが、それに近しい内容でした。万が一にも連れ戻されると、とんでもない制裁があり、まさに死をも覚悟する気持ちで挑まなくてはいけなかったのです。
自分はそんな恐ろしい事ができる勇気もなかったし、行く宛てもなかったので、実際に脱走を図った人が、その後どうなったのかを記載します。
あの当時、2人の子供が一緒に脱走を計画し実行に移しました。目的地は片方の子供の祖父母宅。もう一人はそれに同行する形を取っていました。数日後、途中で取り押さえられたのかヤマギシ内に連れ戻されてきました。
その後、二週間ぐらい経ち、ようやく日常生活に戻ってきました。長い間、学校にも行けず個室で軟禁され、様々な洗脳を受けたのは疲弊し切った顔を見れば、すぐに理解しました。おそらくそれなりに殴られたりはあったと思います。
しかし、戻って来れたのは片方のみ。自分の祖父母宅に逃げようとした彼だけです。その子は両親がヤマギシに在籍せず一般社会で暮らしており、月謝を払って子供を預けられている、言わば町の子だったのです。
しかし、もう一人の彼は村の子で両親がヤマギシに暮らしており、処罰は想像を絶する程に厳しかったのです。普段の世話係ではなくヤマギシ内にいる屈強な処罰専門の大人が呼ばれ、みんなが生活している場所ではなく、別の建物に連れて行かれ、恐らく死んでしまってもおかしくない程の暴行を受けていました。
後日、こっそりその部屋に行くと壁に血が飛び散っていて生々しく、子供ながらに凄まじい恐怖を覚えました。当然ながら次にその彼を見掛けた時は目にガーゼがあてられ、顔が紫色のアザだらけで見るも無残な状態でした。ようやく許されて学校に行ける様になったのは、顔の傷が治った数ヶ月後の事でした。(その期間中もずっと軟禁状態)
流石に学校の先生も心配になって見に来たのですが、ヤマギシ側としては事実を隠蔽する為に面会謝絶。まさに死をも覚悟しなくては行けない最大の罪が脱走なのです。誇張でないのは読む人が読めば真実かどうか分かると思います。