【感想】カルト村で生まれました
このブログを書く為には、少し昔を思い出さなくてはとamazonでヤマギシ関連の本を探していると、高田かやさんの「カルト村で生まれました」を見つけたので購入してみました。おそらく著者は同世代だろうし、漫画になっていたのも単純に興味が沸きました。
実はヤマギシを出てから、初めてヤマギシ関連の書籍に触れてみました。批判本も含めて世の中にたくさん出回っているのは分かっていましたが、そんなものを購入しても昔の嫌な記憶が甦るだけで、一瞬でも早くあの頃を消し去りたかったのが一番の理由だと思います。
何より出版されたのがヤマギシが叩かれて出してからのものが多く、それ以前に出ていた本と言えば、いづみネットワークによる「ヤマギシズムの光と影」ぐらいで、何故、もっと早く取り上げてくれなかったのだと残念でなりません。今回、調べてみて驚いたのは、当時ヤマギシを謳歌し権力を振るっていた敵である知っている大人までもが批判本を出していて開いた口が塞がりませんでした。
はっきり言って、騙されようが酷い生活を強いられようが、当時、自分から入った大人にヤマギシを批判する権利はありません。子供の言う事に全く聞く耳を持たず、ヤマギシを信じきっていたアホどもは本当に頭がどうかしている。自分達が何をしたのかを理解し、生涯心の底から子供達に詫びて頂きたいものです。
「カルト村で生まれました」を読んでみて、当時の生活の細かい所までもが思い出せてよかったです。全くもってタイヤの浮き輪の存在も忘れていたし、恥ずかしくもあり懐かしくもあり、いい意味で楽しめました。
しかし、高田さんは本当にヤマギシで生まれた子供なんだなと言うのが率直な感想でした。当時も思っていたのですが、彼らはヤマギシの子供達の中でもどこか浮いた印象がありました。小学校を卒業するまでおねしょが治らなかったのも、まさにヤマギシで生まれた子の特徴です。
当時、ヤマギシで生まれた子は、それ以外の子供たちとは一線を引かれており、本当の意味では仲間としては認められていませんでした。世話係に告げ口するのもヤマギシで生まれた子が多かったし、彼らは一般生活をした事がなく、良かった時期を一瞬たりとも知りません。
周囲の仲間が言っているヤマギシの間違っている事が何だったのか、批判している事が何だったのかの真の意味が分からず、少なくとも僕の目には本気で怒ったり恨んだりしている様には見えませんでした。
今思うと最大の被害者だった筈なのですが、僕たちは彼らを侮蔑し差別の対象としていました。高田さんは上手くオブラートに包む様な書き方をしていますが、実態はもっと生々しかったです。続編の「さよなら、カルト村」も読んでみましたが、成長していくに連れ、厳しい生活ながらも少しずつ自由を手にいるのが分かります。
生まれてから一度も良い時期を知らないので、大人になるにつれ、環境が良くなった事で段々と記憶の中から多くの事を消しています。もしくは本当に彼女の意識に最初からなかった事なのかもしれません。洗脳と言うのは何十年経っても消えないのがよくわかりました。
自分はヤマギシの高等部には行っていません。当時、高等部はヤマギシの村人になる予備軍であり、ヤマギシに閉じ込められ、一日中農作業に従事し、高校にも行けず、洗脳され、生涯ヤマギシで暮らさなくてはいけなかったのが怖かったのです。何としてでも中学校を卒業と同時に出る必要があり死に物狂いでした。いい意味でも悪い意味でも当時のままの記憶を持って大人になってしまっています。
当時のヤマギシの勢力はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで年商二百数十億、農地も営業所も全国どころか世界にもバンバン進出しており、まさかヤマギシがその後叩かれて縮小し、方針を変えるなんて考えもしませんでした。
あの本でヤマギシの子供たちの内情を知れるのは極一部です。出版物なので格好つけなくてはいけない部分もあると思いますが、彼女の意識下には、まだ隠している事がたくさんある筈です。それでも、あの出来事を風化させない為にもよくぞ書いてくれたと拍手を送りたいものです。