『暴露史記』ヤマギシズム学園の虐待児たち

1980-90年代 ヤマギシズム学園は子どもたちのディストピアだった。

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【学校】給食さえ満足に食べられない

投稿日:2018年1月21日

給食さえ満足に食べられない

みんな小学校で食べた給食ですが、ヤマギシの子供達はそれすら満足に食べられませんでした。弟子システムの項目でも述べたのですが、この件について少し掘り下げようと思います。

ヤマギシの子供達は一日二食で間食もない為、前日の6時頃の夕食より18時間以上も食べずに学校に来ます。給食がこの日初めての食事であり、みんな凄まじい食欲なのは想像できる事かと思います。

お代わりできるのは大抵食べるのが早い子だったりするのですが、通っていた学校では、それを良しとはしませんでした。当然ながら空腹のヤマギシの子供の方が断然有利であり、一般家庭から通っている子供にも平等に機会を与えようと回数制にしました。出席簿に余った給食やお代わりした回数を記録し、回数の少ない生徒が優先的に貰えるシステムです。

教師側からすれば早食いなどの問題解決の為にやった行為ですが、これにより酷い問題行動が起きていました。小学校の高学年ともなれば、体を作る時期でもあり、朝早くから畑仕事を強制されていたのもあり、とても給食の分量では足りません。その為、下級生を使い食料調達の為、学校の給食を残させていました。

その理由は、弟子システムが敷かれていたのもあったのですが、ヤマギシでは子供達をいくつかの班にして全学年を分けていました。そこでの最上級生が班長となり下級生を連れて学校に行ったり、何かヤマギシ内でのイベントを引率をしたり、寝る部屋で場所を決めたりとまとめ役となっていました。

ヤマギシで年一回の楽しみだったのが、6年生が修学旅行で下級生にお土産を買ってくる事だったのです。普段、お菓子を食べる事や品物を買って貰う事など、ほとんどなかった子供達だったので、その期待度はどれほどだったのか理解して貰う方が難しいかも…。

しかし、これを悪用した上級生がいました。給食を残してくる事をポイント制にして、貢献度によって良い物を買って来て、貢献度が少ない人には罰を与えると言って争わせていたのです。

みんな空腹を我慢して学校の給食を残しました。特に純粋だった下級生ほど…。一番残しやすいのが固形物のパンだったのですが、焼きそばだったりおかずだったり、酷いとスープ類を袋に入れて残した人もいました。

学校の先生も彼らが何故、給食を残すのか理解をしておらず、発見した時は嫌いな物を残したぐらいに思っており、子供たちを叱っていました。当然ながら報復が恐ろしく、上級生の為に何て口が裂けても言えません。見つかった時はみんなの前で怒られるので超恥ずかしかったなぁ。特にクラスの好きな子に見られるのが…w

結局、その修学旅行のお土産の約束も反故にされ、意味がなかったのですが、食い物の恨みは恐ろしいと言うか今でも忘れられない苦い思い出となっています。







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